2016年12月27日火曜日

神様はこんな風に



神様の手はこんな風に

ふさふさと柔らかな毛で

覆われているかもしれない。


手先は刈り上げられていて、

いざというときは

この神聖な一手を下すのだ。





神様の目はこんな風に

伏し目がちで、長いまつ毛に覆われている。


うっとりとこの世を見ながら、

奥では目を光らせて、

一挙手一投足を見守っている。






神様の手 / 2016 / acrylic on paper / 22.7×15.8cm
神様の目 / 2016 / acrylic on paper / 14.0×18.0cm
彼女の胸にいる犬の話 / 2016 / acrylic on paper / 53.0×45.5cm

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2016年12月3日土曜日

惑星ーそれぞれの星の出身ー





石をモチーフとして描く時は

「在る」ということに向かい合いたい時。

「在る」ことを描かないと石は描けない。


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この絵が完成した数日後、

私はある人たちに会いました。


私が持っていないものをそれぞれに持っている人たち。


その人たちは、私にしかないものを教えてくれた人たちでした。


それぞれに輝いて存在感を放つ人々。

その空間までもが一体となって、

光を放っていました。




惑星ーそれぞれの星の出身ー/ acrylic on paper / 33.4×24.2cm

浸透していく光と影 / 2015 / pencil on paper / 27.3×22cm


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2016年11月30日水曜日

11月の雑記




11月某日

◎アートは正気に戻してくれる。
自分の立ち位置に、すっと静かに。
ずっとそうだったかのように。






◎何もできない時、静かになって、
じっとして、
ただ、今、ここに何があるかに気づいていく。

そうすると、今何をしたらいいかに気づく。

それは頭で考えた、計画的な何かではないかもしれないけど、
例えば「水を飲む」とか、
そういったことかもしれないけど、
それが自分を取り戻す、ということだったりする。

伏し目がちに、下の方を見て、ぼーっとしてみる。
ただそれだけを落ち着いてやる。
他のことは諦めて、それに徹する。
そうすると見えてくるものがある。
落ち着いて、諦めて、降参しきって、見えてくるものがある。




◎あの感覚をもう一度思い出したい。

とても厳しくて、切実な感じの。

決していやな感じではない。

もうそれをせずにはいられないような、
絶対的で、確信的で、ヒリヒリするような。

これしかないでしょ、
と誰が何を言おうと思えるあのこと。

本質的な会話ができる人との間で生まれた

ああ、とその前では膝を落とす感じで

私しかわからないだろうと思ったことを言葉にされて、
言葉にはせずとも、わかる人には伝わってしまってるんだなと
気が引き締まるも、なぜかとても嬉しいあの感覚。





ある人からおぼれた時の話を聞いた。
「何でおぼれたかわかる?
あせったからおぼれたんだよ。
あせらなかったらおぼれなかったよ。」




「このくらいでいいか」
「こんなものでいいか」
「こういう風にやっておけば...(まとまって見える)」
「もっともな感じのもの」
「説明のつくもの」
「形にしないと」
"一見"「いい感じのもの」

気をつけよう。




作品がこじんまりしてないか?
たとえ繊細なものを描いても。
力強さ、野性味、生命力。




使命がある人は強い。何があってもそこからブレないから。

私の、あなたの、使命は?

最近会って良かったと思う人は、会った後、厳しい気持ちになる人。

厳しさは悪者じゃなかった、11月の前半。




びっくりしたり、真っ白になったり、違和感を感じた時、思い出してほしい。
「私は伝えられる」って。
「私は」そっと話し始める。
それは相手に静かに浸透していく言葉だろう。

私のセンサーが「それは本当ですか?」と言っている。

物事には必ずいくつもの可能性があるものだから。
「あなたはそう思ってるんだね」
「私はこう感じるよ」




予想できることは記憶。
本当はいつだって想定の範囲外。

明るい方を見たい。
それしか道はない、と思ってしまうクセ。
必ず他に方法はある、と思うクセ。


光を知りたい、11月の後半。


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2016年11月9日水曜日

ふたご座26度



友人に星を読む人がいる。

私が生まれた時の太陽のサビアンシンボルというものを教えてくれた。

たまに読むと元気になるので書いておく。

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ふたご座26度「冬空をバックにした霜に覆われた木」

原点的な自己の存在のあり方をつきつめて探求するために、枝葉抹消して考えていくような姿勢。

世俗的な価値の拒否という禁欲的な姿勢も含めて、本質化にむかう厳しい意志を示している度数だ。

ルディアは自然界の周囲はある程度この試みを助けてくれると述べているが、

運命が衰運になったときや、状況が逆境になったときにわれわれは自分の原点を明確に感じるような裸の状況に遭遇する。

いろいろな可能性が封じられ、寒々しい状況のことだ。

でも、この度数の人はこの状況に自分を見つめる大きな機会を得ることだろう。

この人は発展的な事柄、円満な繁栄を好まない。本質をつねに求めて、枝葉を増やすことを望まない。

孤独な状況も好都合にはたらくはずだ。

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2016年10月31日月曜日

10月の雑記


10月某日。

◎大きな後悔が払拭されるくらい、
日常の中で大きな喜びがやってくることもある。

それはもうほんとにダメだと思ってしばらくして、
落ち着いてからというタイミングで。




◎かと思えば、とても厳しい現実を聞くことも。
一旦鵜呑みにしない、ということで。

週に一度くらいあのような人と会って話すといい。




◎逆境を好機と捉えていたあの頃。




◎心は天気のようなものと、いつものように思う。

天気に左右されない何かがあるならなんだろう?




◎変態のする仕事に感動する。




◎被害者にならない楽しさ。




◎卑下や脅威にヒントあり。

どんな物事にも神聖さを見ることができないのだとしたら、
ありのままに受けとめられないなら、
まったく美しいと思えないなら。

きっとそれにまつわる記憶があるのでしょう。




 ◎キーワードは「サプライズ」と「ストーリー」




◎一つ一つが儀式になるような、意識の通った動きのすべて。




◎おじさんたちの言うことは超えていきたいと思っている。




◎祈ることは、手放すことだと体感として落ちてくる。

◯◯になって当然、というくらいにやってみて、
もしそうならなくても、期待はしてない。

「当然」というのはそれくらい手放された感覚なのだ。

犠牲でも無理でもなく、
ただ淡々と生活を整えて、
物を丁寧に扱って暮らすような、
静かな息づかいのようなもの。

その上で、行動に起こしたことで現れた出来事に、
どう反応するのかを見ていくのだ。




◎清廉なものと繋がって




◎妄想することの楽しさ。
よく思い出し笑いしていたあの頃。




◎「いつまでも記憶とばかり遊んでいないでね 」


10月は一喜一憂の波乗り


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2016年10月27日木曜日

左を向く女性たち






「モロッコの女性たちはとても強いんだよ」

モロッコで働いていた友人が言っていました。


男性はどちらかというと、

陽気でおしゃべり好きでよく笑っている印象。


女性はその反対で、

寡黙で、強い意志を感じる深いまなざしが印象に残っています。




とりわけ、マラケシュのような商売の街であり、旧市街では、

たくさんの嘘と、とびっきりの笑顔がときにはセットになっていて、

生も死も、喜びも悲しみも、ごった混ぜの

いわゆるカオスの状態。


そこでやっていくには、

芯の強さや、本物を見極める目や、

きれいなものも汚いものも、

まるごと受け入れてくれる懐の深さが必要で、

それを女性たちの中に見ていたのかもしれません。




「瞑想の鏡」、「平和の鏡」とつけたタイトルは、

その混沌とした街で生きていくために必要な姿だったのだと思います。


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私は人物を描いても、顔を描くことはあまりないのですが、

描くとすると、左を向いていることが多いことにこの記事を読んで気づきました。


「クートラスの描いた横顔はたいてい左側を向いています。左は無意識で右が意識と言いますけれど、教会の正面扉のタンパンという彫刻もたいてい向かって左側が地獄です。
左右の明暗は道徳的な善悪という分け方より、隠されたものと現れたものと私は受け止めていますけれど。ヨーロッパは明るいものにばかり目を向けるので、クートラスは見られていない暗い方へ向かったのではないかしら。」(特別インタビュー ロベール・クートラス その世界 vol.3より)


モロッコの居心地の良さというのは、

目を向ける部分や、受け入れているものが、

明るくてきれいなものだけではないから。


光も闇も全部ひっくるめて、この街の美しさなのだと思います。








mirror of meditation / 2015 / acrylic on paper / 42.0×29.7cm

mirror of peace / 2015 / acrylic on paper / 42.0×29.7cm 

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2016年9月29日木曜日

9月の雑記



何となくこうしてみよう、くらいがちょうどいい。


「何となく」は魔法のことば。





❶5分だけ手をつける


❷完ぺきを目指さない


❸ついでそうじをする


「フィンランド人が教える本当のシンプル」より






どうにも笑うしかない状況というのがある。

笑いと明るさと軽さが必要だー





こういった描き出しが好きだ





「過去はすでになく、未来はまだ来ない」


『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』より






結局は自分との関係だ。


自分と仲良く。


世界は自分との関係でしかないと、


本気で思えたときから、


少しずつ穏やかになっていく。





ディヴィニティーは、どこにでもいるし、どこにもいない。あなたがクリーニングをして、ほんとうの自分を生きるとき、あなたが体験するすべてに、それは息づいている。あなたが記憶に溺れ、自分を失っているとき、あなたはたとえ聖地に行ったとしても、その神聖さを見ることはできない。

『ホ・オポノポノジャーニー』より



2016年9月26日月曜日

mirror of comfort



モロッコのマラケシュから西へ、

バスで3時間ほどのところに

エッサウィラという町があります。


海に面した街で、

内陸のにいた雰囲気からは

ずいぶん空気感も変わります。


ヨーロッパの方からバカンスできている人たちも多く、

どことなくヨーロッパの雰囲気が漂います。


街全体が白と青で構成されているようです。









城壁や大砲で物々しい雰囲気がある場所もありますが、

いろんな人種・文化が行き交うこの旧市街は

今はいろんなアーティストにも愛される、

自由で開けた場所のように感じられました。





このときはちょうどクリスマスシーズン。

休暇で訪れた家族たちが、

暖かな団欒を楽しんでいました。




宿泊先のオーナーはフランス人で、

調度品の組み合わせからくるセンスの良さや、

なにより彼が紳士的でありながらとてもフレンドリーで、

モロッコで出会った、感銘を受けた中の一人になりました。










朝は海の風に吹かれる心地よさを感じながら

屋上で現地を感じられる朝食をとっていると

なんともいえない快適さが感じられます。



最近気づいたのは、

好きな場所には、心地よい風が吹いているということ。



そういうところにいるとエネルギーが満ちてきます。



きっとそこからは

自由なエネルギーと自然な変化を呼び入れることが

できるからなのかもしれません。








mirror of comfort / 2015 / acrylic on paper / 42.0×29.7cm


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