2016年3月20日日曜日

初心に還る




何を描こうかな...と考え込んで描けない時は、

目の前にある、心のひかれるものを

淡々と描いていくのがいいかもしれないと

時々思ってそうしてみる。




書道で言えば、臨書のような、

私にとっては基本となる表現なのかもしれない。


ある書道家の方が言っていたが、

普段書いている臨書(手本を見てそのとおりに書くこと)での姿勢が

自運(書く人の意志のままに自由に筆を運ぶこと)にも出てしまうとのこと。


そして、臨書はただ手本をまねて書くということではなく、

そこにはたくさんの創造性があるとのこと。


いつだって目の前には多くの豊かさが広がっているのかもしれない。


amaryllis / 2009 / oil on cotton / 72.7×60.6cm
green necklace / 2009 / oil on cotton / 45.5×53.0cm


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2016年3月15日火曜日

たゆたう水のあるところ



流れがあるような川とはちょっと違って

たまった水のあるところは

自分の内側や底の部分に向き合わせてくれる場所のような気がする。



心が落ち着かない時は、

たゆたう水のあるところに行くといいのかもしれない。


きっとその水面に今あなたが見ている世界や、

自分の底にうごめくエネルギーを

見せてくれるかもしれない。


akashic record / 2007 / oil on cotton / 90.9×72.7cm 
akashic record / 2008 / oil on cotton / 65.2×91.0cm


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2016年3月2日水曜日

永すぎた春


ふたりは親子でしょうか。
もしくは全く知らない他人でしょうか。

駅のホームから桜を眺めています。 

ふたりの身を包むシックな色のコートやスーツ、
そしてふたりの背中からも
新しい季節の始まりを感じさせます。



住み慣れた場所から少しずつ物を運び込んだ時の
そこにある物の佇む姿、空間から
そこに残された気持ちに気づくことがあるかもしれません。


レースの模様を描くとき
妙に途方に暮れてしまう感覚がありましたが、
その絵に背を向け、数歩進み、またその絵と向き合うと、
確かにそこには在る、ということが感じられました。


いろんなことがあったかもしれないけど
歩んできた道のりが一瞬でよみがえり、
それを感じきった時、
永すぎた春に終わりを告げる。

また新たな季節の始まりです。

背景を描かない作品から、
背景を描くようになってもなお、
表現しようとしていることは通じていると実感した作品でもありました。


永すぎた春 no.1 / 2004 / oil on cotton / 162.0×130.3cm
永すぎた春 no.2 / 2004 / oil on cotton / 126.0×150.0cm 
見過ごすための人を思う / 2003 / oil on cotton / 106.0×92.0cm  
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